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誰宛でもない、誰が読んだって自由な手紙

だからどうした、って話。

ご無沙汰しております。

お題の通り、最終的には「だからどうした」ってなる話をウダウダ書き連ねようと思います。←

 

世間を賑わせた『JOHNNYS' ALL STARS IsLAND』(以下『JAI』)が終演しましたね。

ゲストガチャでたくさんの先輩方が遠回しに後輩たちにトゲのあるメッセージを残していったようですね。

それでも私は今でもツイッターで“おふざけJr.ちゃん”たちに関する嘆きの呟きを目にします。

 

分かります。

気持ちはすごく分かるんです。

 

だけど、比べるんだったらまず“作品”なのではないかなって思ってしまったわけなんです。

 

まず私はみなさんが『JAI』におけるJr.のおふざけの基準がどういったものか分かりませんが、「あ、あの子ふざけてる」と観客が感じてしまえばそれは本人がどう弁解したって“おふざけ”になるのでしょう。

真剣にやってくれてない、と不愉快になるのは観客の自由だし特権です。

そして演者はステージに立つ者としてお客様に最良のものを見せることが仕事であり義務とも言えるのでしょうね。

 

もちろん、おふざけはいけないことです。

でも私は『JAI』出演者のみんなを真っ向から「あいつマジでふざけんな」って気持ちになれないんですよね、何故か←

 

よく引き合いに出されるのが『SHOCK』におけるおふざけのなさでしょう。

同じ帝劇で行われるジャニーズ作品ですから、比べられるのは当然ですが。

それでも『SHOCK』には、おふざけをぶっこむ“隙”も“余裕”もあったもんじゃありません。

まず作品の構造が違うのです。

『SHOCK』は私にとっては(技やショーの素晴らしさはここでは省きます)“夢を追い掛けた若者たちの青春物語”の究極であって、それ以上でもそれ以下でもありません。

舞台人の話ですから、演者は感情移入しやすいのでしょうね。

前田さんが「舞台人のために続けなくてはならない作品」と言い切っていましたので、舞台人にとって『SHOCK』とは自分自身でもあるのでしょう。

 

そして“堂本光一”という絶対的な神の存在。←

この人が真ん中に立っている限り、共演者の集中が切れることはありません。

 

それでは『JAI』はどうでしょう。

私は演者たちが不憫で仕方ありません。←

蜷川幸雄小池修一郎KERA、トム・ストッパードなど色んな天才たちの作品で真ん中に立ってきたあの井上芳雄大先生に「ストーリーが難解」と言わしめたジャニーズ作品の本質を、どうして人生経験の少ない子供たちが、今まで言われるがままに13月を探し続けていた彼らが理解することができましょうか。

ましてや私たちのような一般ピーポーがその作品の良さをどうして汲み取ることができましょうか←

 

本を読む時だって、映画を観る時だって、ストーリーがわけ分からないとうまく感情移入できないでしょ。

彼らもきっとそうなんです。

難解なくせに大きな穴がぽこぽこ空いているから、そこかしこに作品に“隙”ができているんです。

その穴や隙を埋めるのが演者の仕事なんでしょうが、そんな高度なこと、誰が教えてくれるのでしょう。

その現場に井上芳雄さんや中川晃教さんがいれば話は違いましょう。←

ですが芝居の稽古場には「セリフなんて自分の言いやすいように変えたっていい」なんて錦織さんの現場に慣れ切ってしまい、他の演出家の現場だったら激怒されることを平気で後輩たちに伝えてしまうある先輩がいる。

なんて不憫なのでしょうか。←

 

色々と書いてきましたが、ここで

「そんなことは関係ない。大切なのは帝劇という神聖な場所に立つことへの責任感だ」

と言われてしまえば終いでしょう。

でも私はそのことについてもJr.君たちが不憫でならないのです。

 

トッツーや塚ちゃん、藤ヶ谷さんたちは外部舞台経験者ですが、ほとんどのJr.君たちはジャニーズの作品にしかもちろん出たことがなく、他の現場の雰囲気を知りません。

俳優さんたちがどれだけの覚悟や情熱を持って舞台作りに臨んでいるのかも知りません。

それは経験者が教えていくべきことでしょうが、やはり体験しないことには分からないものだと思うのです。

彼らに、“帝劇の神聖さ”が分かるはずがないのです。

 

いや、分かってるんです。

そんなこと関係ないと。

ステージに立つ者としての意識は自ら学んでいくものだと。

部活感覚で立っていけないという意識を、自ら形成していくべきだと。

 

ここからは完全に極論ですが、

ふざけてしまうJr.君たちを同じ帝劇で上演されているレミゼミス・サイゴンにポンと放り投げたらどうなるでしょう。

実力がついていかないとか、そういうのは抜きにして、彼らから“ふざける”という概念は消え去るでしょう。

レミゼ』や『サイゴン』というビッグネームを前にして、彼らは硬直するでしょうか←

 

これら作品には、長年世界各国で上演され続けているというブランド、帝劇で確固たる地位を築いているという歴史があり、演劇人たちに敬愛されているというジャニーズ作品にはない魅力があると思います。

どんなに未熟なJr.君たちでも「ただ事ではない」と気付くでしょう。

 

そしてこれら作品にはもちろん“隙”がない。

文豪ヴィクトル・ユゴーが書いた傑作と誰が聴いても心が震える音楽、

ローレンス・コナーの目の覚めるような演出と人間たちのエネルギー。

演者が魂を削らないと表現できない圧倒的なパワーを作品自体がすでに持っているのです。

そして演者は作品に敬意を払ってステージに立っている。

この作品に出演させてもらえる幸せと喜びを噛み締めながらステージで生きている。

 

『JAI』にはそれが乏しい、残念ながら。

もちろん、Jr.君たち全員が舞台俳優を目指しているわけではないから、モチベーションが上がらないのも多少は分かる。

けれども『JAI』には演者が敬意を払うに値する“品格”が欠落している。

きっと考え抜けば奥深いはずの難解なストーリーと、華やかな楽曲、高度なショーパフォーマンスがちぐはぐで、どこにどう目を向ければいいのかが分からないのです。

断片的に見ればとても楽しい作品ですが、一連の流れで(にもなっていないものを無理やり繋げて)演じる彼らは色んな意味で相当疲れるだろうな、といつも不憫に思いながら観劇しております。←

 

おふざけは悪いことだけど、

今度は演者全員が魂を削って演じたいと心から奮起できる濃密な舞台が上演されることを願ってやみません。

 

だからどうした、というお話でした。